the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

9.16.2021

Essay note September 2021

晩夏から初秋へ、秋の気配を感じるニューヨークからお便り申し上げます。
アメリカ同時多発テロから20年、米国の新政権はアフガニスタンに駐留の治安部隊の撤退を行い、一つの終止符を打つ形になりました。それはまた新たな、より複雑な世界情勢へと導くものかもしれません。
20年後の今、はっきりと先を見通せない状況にあって、複雑な気持ちで、9/11メモリアルに立つ『復活の木』に思いを運んでいます。もし歩いて行けたらと、もどかしく思いながら。
ありのままに、20年を振りながら、自分自身が直面する様々な事を通してその思いを綴りました。窓の外からは、プールサイドの賑やかな声が聞こえてきます。白い帆とモーターボートが描く白波の稜線を描いて、最後の夏期休暇を満喫しています。
夜半には虫の鳴く声が聞こえてきます。皆様の息災をお祈り申し上げます。


《Survivor Tree、もう一度》
― もう一度、まめなしの木の下で、20年前に思いを馳せ、
今、克服し難い新たな苦難の中で、もう一度越える力を漲らせたい ―




​夏の深い緑の葉と、白い花をつけたマメナシの木。
9/11メモリアルに立つ、ニューヨーカーの再生の力の象徴『Survivor tree』。
真夏の空の下で一昨年より背が伸びて、午後の強い陽射しの下で爽やかな風を送り、訪れる人々にひと時の涼を与えている。
昨夏、コロナ禍で閉鎖されていた9/11メモリアルに訪れる人はなく、ひっそりと立っていた。
地球上の人々が見えないウイルスと闘い、ウイルスの侵略に生命を奪われていく様を見つめながら、悲しい気持ちを、ひたすら枝葉を震わせる風音に込めていたに違いない。
このマメナシの木は、20年前グラウンドゼロで生き残った、たった一本の木。テロの攻撃を受けた世界貿易センター敷地、焼けただれた残骸の下から救出されたのである。
史上例を見ない航空機ハイジャックによる、アメリカ同時多発テロから20年が経つ。
夢のように走り去った歳月を振り返れば…
アメリカ同時多発テロに端を発した中東諸国の紛争は長期化し、実際には何の解決も見出せず、
民間人を巻き添えにしながら、武力と武力の闘争が続いている。
政治闘争、領土問題、海域領有の紛争、部族間の衝突、宗教対立…
人間が引き起こす紛争は、地球上から止むことがない。
追い打ちをかけるように、闘争の隙間に入り込んだ新型コロナウイルスの出現は、世界中の紛争以上に地球規模で闘うレベルとなり、地球上に生きる存在を苛めている。
誰も想像しなかった未来が此処にある。つくづく思う、人間の予想と想像をめぐらしても、未来の現実は必ずしも予想と想像を確かにしないだろう。

≪人生の分岐点となった、9/11同時多発テロ≫
今振り返ってみると、あの時の心の痛みを克明には思い出せないが、9/11は私個人にとって、新しい航路へ舵をきるきっかけになった。この航海マップを変える事は並大抵ではなかった。しかし一日足りと、どんなに手探りの中でも諦めずに、ひたすら前に向かうしかなかった道のりだった。
硝煙があがり、焼け焦げた匂いが漂う爆心地で、真っ黒になって昼夜を問わずに残骸を片付ける人々、毎日毎日、残骸から見つけられた遺品や遺体の一部を棺に納め、星条旗を棺にかけて爆心地から運び出す…周辺の人々は、鐘の音を合図に黙祷をして見送った。
数か月後に初雪が舞い降りた。
私は、金網が張り巡らされた爆心地で、舞い降りる雪の中に立っていた。
優しく舞い降りる雪に静かに癒されながら、
『いつの日か、この残骸が片付けられて、この爆心地が見事に生まれ変わる日が来るのだろうか?』
この惨状の前にいて、それは悲しくも途方のない想像の世界だった。
『ここが生まれ変わる頃、復興する頃に、私はどんな人生を歩いているのだろう。』
― 20年後の今日、爆心地は見事に復活を遂げた、いや見事に新しい慰霊の空間に生まれ変わった。今、ここ爆心地に、私は居る。――― 9. 11、2021  ―

≪自らの“復活の旅路”は、カンボジアのジャングルから始まった≫
静かに自分に向き合いたく、アジアの果てのジャングルを訪れた。
果てしなく広がる深い緑のジャングルと、底抜けに青い天空が広がっていた。
まばゆい太陽の光を受けて輝くような映像となって、その光景が私の心に去来する。
ジャングルの息使いを感じる静かな時が流れる、ニューヨークの爆心地とはかけ離れた世界だった。立ち寄ったタイで、チャオプラヤー川岸のマンダリン・オリエンタルホテルのバルコニーからただ川面を眺めていた。生温かい南国の夜風に吹かれて、ブーゲンビリアの花が揺れていた。
あの一瞬一瞬から感じ取ったインスピレーションが、その後の生き様を運命づけたと言える。
生きる意志と力、引き寄せられるようにこの旅先で様々な出会いがあった。
私を支えてくれた多くの人々との、不思議な出会いがあった。
あの途方にくれそうな時に支えてくれた、かけがえのない大切な人々だった。
20年間の時の刻みを共にしてくれた大切な人々は、私よりも先に遥かな宇宙(そら)に旅立って逝った。それぞれの人生のドラマを書き終えて逝った。共にした情景が鮮明に蘇ってくる。
あの時この時、笑い声や語った言葉、声や表情までもありありと浮かんでくる。
とても懐かしくて、もう一度会いたい思いにかられることがある。
どの人もなくてならない存在だった。年を重ねる毎に、人生を象ってくれた素晴らしい人々に感謝は尽きない。時々、実在のない淋しさ、埋めようのない心の空白を感じる時があるが、心の中に生き続けている。もう一度、あの復活の原点に戻りたい。

≪20年後、次のChapter≫
もう一度、マメナシの木に向かい合おう。




一本の木に過去と未来の枝が分かれて育ったように、生き残った木、もう一度あの再生の力に触れよう。

パンデミックの始まりと重なるように、小さな人生の最終章の1ページが開かれた。
その1ページは想像を超えた、厳しい現実を越えていかねばならない試練の章である。
登山に例えれば、その頂きを間近にして、初めてどれほど厳しい頂きを持った山だったか思い知るような感じである。この頂きは、並大抵な精神では上りつめられないかも知れない。
メモリアルの傍を車で通る時に、私はマメナシの木を見つめる。
車で走るほんの瞬間にみると、緑深く茂り、大きくなっているように見える。
もう一度、Survivor Treeと語ろう。
『私は生き続けている。空に向かって、手足を伸ばして成長し続けて、生きているよ。』
『私は蘇った命の木だから、復活と生命力の象徴になった。9/11メモリアルに生きる場所を与えられて、人々の心の励ましの存在となり、この小さなスペースに立って、生きている。それだけが私の使命、共に生きよう。』と、そよいでくれるに違いない。    

from Akiko Endo, September 11, 2021.

8.18.2021

Essay note Summer 2021


《優しい香りに包まれて》Summer July

初夏の風が木立を渡ってそよぐ頃、懐かしい香りが漂い、

たわわな深い緑の葉に覆われたジャスミンの葉陰には、小さな黄白色の花が開き、

長い夏の日の夕べに涼を求めて憩う人々を、甘い香りで包みます。


《自粛の冬から春へ》

昨年、枯れ葉が舞うニューヨークに、一年振りに帰ってきました。

コロナ感染拡大防止のため、日常生活では強硬な制限措置が取られ、

長い冬を迎えました。

Thanksgiving Holiday も、家族や友人との集まりも禁じられ、

静かな晩秋から冬へと時は移り変わって行きました。

[Slide with music: Bach Cello Suite NO.1, Prelude, Yo-Yo Ma, バッハ, チェロ, ヨーヨーマ スライドと音楽をお楽しみ下さい。]

やがて足元の土の色に春を感じる頃、白樺の公園には

チューリップの球根が絨毯のように敷き詰められました。

頭上では賑やかな鳥のさえずりが、そして木から木へ

飛び交う羽ばたきが聞こえます。

桜がやっと開いて、円形の小さな公園のカーブに沿った

遊歩道をピンク色の天蓋が覆い、花吹雪がそぞろ歩く人々に降り注ぎます。

花咲く春の到来と共に、ワクチン接種が加速し、日常生活が緩和されてきました。

地球上の人々がウイルスに苛まれている時でさえ、自然は黙々と、季節から季節へと自らの命を輝かせています。 

[Slide with music: その折々の眼に映る景観や心に感じた情景をiPhoneに収めました。音楽と共にNew Yorkを楽しんで下さい。]

***
外出が思うようにできない中に、
窓辺から移り変わる景色に季節の移り変わりを楽しみ、
リハビリ通院の合間に、補助を得ながら、
ほんの僅かな時間に自然に親しんでいます。
***

≪そして、夏へ≫

ニューヨークでは、7月4日のアメリカ独立記念日から殆どの生活の規制が取り払われ、恒例の独立記念日の花火の打ち上げも盛大に行われました。

真夏、二年振りにこの夏の緑に包まれながら、ハドソン川の水面が眩しく輝く川辺で、

川風と海風に吹かれつつ平和な時の流れを感じます。少し現実を離れるひとときです。

現実の世界に戻れば、長いウイルスとの闘いの幕は閉じず、厳しい闘いが続いています。

人々の日常に様々な変化をもたらし、これから先どんな未来が展開されていくのだろうか…

現実の不安を抱えながらも、過ぎゆく夏の一日を大切に送っています。

今は、“必ずこの困難を克服して、新しい生きる道を、方法を見いだすと、

その期待が生きる力なのだ“ と思いながら、自分にも問いかけながら、勇気を与えながら、

未来を諦めなければ必ず見出せると信じているのです。

New York, Summer 2021,

5.13.2020

Season’s Greetings

冬から春へ、いつの間にか季節は新緑の季節となりました。
季節のお便りを申し上げます。
季節の移り変わりに気を留めるゆとりのない日々が過ぎていきました。
皆様の息災を祈りながら、今の取り巻く環境を思うと、
適切な言葉が思いつかずにいます。

私達の日常は、極めてミクロの得体の知れない存在に、
命も人生も翻弄されています。
先が見えない中で、厳しい現実が身近につきつけられています。
Pandemicを終息させる最良の方法は、
当たり前の日常を犠牲にする辛い経験を強いられます。

しかし、終息後は、この経験を通して、
私達の生活意識は変化するのではないでしょうか。
社会環境から個人生活に至る様々な次元で、
私達の意識、考え方は変わって行くのではないかと思えるのです。

この渦中で個人レベルで思うことは、今はただ、この一瞬に立って、
現実を乗り越える気力と、何がおきても動じない心を培いたいと思います。
時には萎えそうになりますが…

少しでも自分の精神力を維持できるように、つかの間に、
現実を離れて別の世界のものに気を向けて、心を疲れさせないように努めています。
現在は、歩行強化のリハビリ、トレーニングを自粛生活の中にも努めています。
外に出て、ウオーキング、エクササイズを行うのですが、
単純に歩くだけではつまらないものです。

しかし歩き始めると、その道すがらに、
家々の生垣や塀から、顔をのぞかせる季節の花々、
道端に愛らしく咲いている野生の花々に気づいて、とても心が和んだり、
温かくなったり、感動したり、本当に些細な出会いに励まされているのです。
自然の息吹に触れ合い、季節を飾る花々の世界を心のキャンバスに好きなように描いて、
色彩から感じるインスピレーションが、とりとめのない空想の世界に導きます。

歩くままに、心のままに、感じたままに、今の日々を綴りました。
その時々にポケットからiPhoneを取り出して、花々に声をかけながら、カメラに収めました。
ささやかな自然の一隅を皆様にも楽しんで頂きたく、ショートビデオに編集致しました。
2019年の晩秋から冬へ、そして2020年の早春から春へ、
東京で過ごした日々をエッセーと共にお届け致します。
お時間のある時にご覧頂ければ嬉しく思います。


2019年が暮れようとする東京で過ごした日々、懐かしい道を歩いてみました。
塀の金網から秋の草花が顔を覗かせていました。
落葉の街は色づいたツタが、昭和初期にかけられた西洋風の陸橋、
欄干と街路燈の銅の錆色が枯れ葉とマッチして、ヨーロッパの街を思わせます。
実につまらない、誰も気に留めない光景ですが、私の心を捕えます。
まるで旅人のような気分です。 

枯れ葉が舞う晩秋、2019年も暮れ迫る。2020年は、どんな未来を運んでくるのだろう。」


北風にふるえる木立に愛らしい梅の花がほころぶ、
立春間近な冬の名残のみぞれ降る夜半に、母は永眠しました。
就寝前にいつものように看護師と話をしていたようです。
看護師が就寝前の薬を取りに行き、戻った時に母は静かに眠っていたそうです。
何度声をかけても、目を醒ますことはありませんでした。

数日前に病院に立ち寄り、少しの時間を過ごしてから、
また来るねと、明るくバイバイと手を振って別れました。
それが、母との最期になるとは夢にも思いませんでした。
穏やかに、静かに、長い人生に終止符をうちました。 
数日前に一人で歌を口ずさんでいたそうです。
何故この歌を歌っていたのでしょう。

『上を向いて歩こう、涙がこぼれないように、
思い出す春の日、一人ぼっちの夜
上を向いて歩こう にじんだ星を数えて 
思い出す夏の日 一人ぼっちの夜
幸せは雲の上に  幸せは空の上に 
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く 一人ぼっちの夜、、、』

忍耐強い母でした。10年間ベットの上で日々、愚痴一つ言わず、わがままを言わず、
周りに迷惑をかけないように、精一杯耐える事で、
自分の生き方を示していたように思います。
お疲れさまでした。
ご苦労様、そしてありがとう。
01/27/2020

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

春の嵐が襲いました。
思いがけない新型コロナ感染症拡大という抑え難い嵐が、世界に吹き荒れました。
徐々に脅威が増して、感染の抑え込みに自宅待機という自粛要請が発令された三月は、
例年より早く桜が開花しました。

《人影のない、ひっそりした桜並木で》

三月の終わりに、桜の名所の並木道を歩く機会がありました。
春爛漫、桜花が天蓋のように覆う並木道には人影はなく、ひっそりとしていました。
私の肩に桜の花が風に舞い、白雪のように降り注ぎました。
美しくもはかない抒情が漂いました。

一生懸命に咲き、一瞬に華やかに散る短い桜の命を、
人々は心から美しさを愛でて、桜を愛し、桜と共に春を謳歌する。
桜は一年に一度、この時機を待ちわびて、沢山の人と春を歓びあうのです。
寂しげに、華やかに散る桜吹雪の中で、
今は誰とも会えない日をおくる私も、桜の気持ちと同じ思いでおりました。

『春の訪れを告げる桜、長い冬の忍耐を超えて、
 一気に花咲かせて、短い命を華やかに散らして、
 また巡る春を待ち、花咲かせる。
 何年も、何年も、春が巡れば花咲き、
 春しか知らない桜は、すなおに桜の使命を未来も生き続ける。
 さくら、さくら、また春に逢おう、ありがとう』




《初夏へ、自然は休むことなく、新しい季節へと移っていきます。

マグノリアの花が咲き、草花が初夏の新しい季節を告げていました。
玄関先に白い花びらが散乱していました。
近隣から花水木の花びらが風に乗って、玄関先に吹き寄せられていました。
時にはピンク色の花水木の花びらも混じって、花びらでエントランスを飾ってくれました。
深い紫色の野生のすみれや、たんぽぽ、鮮やかなピンクの愛らしい花が、
道端に、空き地に咲き乱れていました。
路傍の小さな石のベンチに腰掛けて、無心に咲く野花に癒されながら、
陽だまりのなかのひと時を、ほんの少し過ごします。

《懐かしいジャスミンの香り》

ある日の昼下がり、滅多に通らない住宅街を歩いてみました。
甘いかぐわしい香りが漂ってきました。香りに誘われるままに歩をすすめると、
ジャスミンの群生が白い花を咲かせていた。
黄昏時にかかる、人気のない住宅地の一角で、
思いっきり香りを吸い込み、この優しい香りに癒されました。
この香りが、にわかに懐かしい思いを蘇らせました。

新緑に溢れた5月のニューヨーク。
自宅の傍に白樺の公園添いにナイトジャスミンの木が植えられています。
初夏の風が吹き渡るとき、風のそよぎに乗って、ジャスミンの香りが漂ってきます。
この香りが漂う頃、ハドソン河添いのメドウには夏草が茂り、
鮮やかなマリーゴールド、ひまわりと夏の花が周辺を彩ります。
東京のこの一角で、思いがけない懐かしい香りとの遭遇に、
ニューヨークの自宅に帰りたい気持ちにかられました。

感染に歯止めがきかないニューヨークに戻れず、東京に足止めされました。
生まれ育った場所ですが、海外生活を送る私にとり、こんなに長く滞在するのは初めてです。
けれど心は、まるで旅しているような感覚なのです。
こんな思いをしながら日を送っています。

《希望が試練に変わり》

2020年の年明けに、私は生まれて初めて除夜の鐘を打ちました。
希望に満ちた輝ける新年を期待して、祈りを込めて打ちました。
2020年を人生の最終章のスタートにするぞと、時の扉を開けました。
扉の先には、今まで遭遇したことのない世界が待ち受けていました。
未知の環境に新しい挑戦が始まりました。平和で穏やかなものではないようです。
むしろ厳しい現実を痛いほど、突き付けられるのではないかと思えてきます。

人生には予告なしの事態が起きる。
19年前、米国同時多発テロの渦中で命と向き合った瞬間が蘇ります。
それを経験していても、新たな厳しさにはひるみます。
もう一度、あの状況を思い出してみると、孤独の中で現実を受け止めて、
前に向かったエネルギーと強さがありました。

今、改めて思います。まだ走れる余裕のある年齢だった事が、
それまでと全く別の人生を進む勇気があったのだとと。
しかし、人生の最後のスパンが見えてきた現在とは、
心理的に全く違ったステージに立っているのを感じます。
あの時と同じ思いに立つ事は出来ないけれど、今だからこそ可能にする何かがあるはず。
年齢という存在に気持ちが打ちのめされることなく、
ただ、ただ、坦々と超えていこう、後ろを振り返らずに、
最期のステップまで踏みしめて行こう、と言い聞かせてます。

先が見えない未知へのチャレンジにひるみたくはないと、
私の好きな歌を聴きながら、勇気が湧いてきます。

To dream the impossible dream,  To fight the unbeatable foe, To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go, To right the unrightable wrong,
To love pure and chaste afar, To try when your arms too weary, To reach the unreachable star

一日も早く、この新型ウイルス感染が終息し、
皆様と直接お会いできる日を楽しみにしています。ご健勝と息災安穏を祈りつつ。



From Akiko Endo,  May 2020

7.22.2019

初夏の惟い

緑が眩しい初夏の夜半、散歩道を歩く時、
ナイトジャスミンの木々が夜風に揺れる度に、かぐわしい甘い香りが漂ってきます。
この香りが漂うと、本格的な夏に向かっていると感じます。
季節が足早に過ぎてゆくのを感じるとき、気分的に、時に置いて行かれるような焦燥感を感じます。
時を止める事はできないけれど
時間は意識の中で如何様にも調整可能なものです。
時の流れにに、今だから実感できる巨匠の言葉があります。 
『時間はゆっくり流れる方が良い』
その言葉の出典は定かではないのですが、
たわいない会話でありながら、とても印象に残っています。
20代の頃、偶然に読んだエッセーの中に見つけた短い言葉です。
記憶では恐らく、彫刻家ロダンと弟子のカミーユ・クローデルがセーヌ河畔にたたずんでいた時に、ロダンがつぶやいた短い言葉だったと思います。
時間と競争のように走り続ける、エネルギーに満ちていた青春時代、
その言葉の意味が理解できずに、ずいぶん長い間、記憶の片隅に残っていました。
数十年の長い時が流れて、今は、その言葉の意味がわかります。
自分の力で抗し難い環境に置かれたときに、
ゆっくりと時が過ぎるのを待つ術(すべ)しかない環境に置かれたとき、
時の流れに任せなくてはならない状況に置かれたときに、
「1分という時間は、1分なのだ。」とわかり、その1分が、とても長く感じるのです

1分を2分生きる為に数倍のエネルギーを使う、そのエネルギーを使える時間は
人間である限り、限られた期間なのだと、今はしみじみと実感しています。
人生の一節を幾つも重ねてみて、たわいない言葉の意味を今は深く味わっています。
実に、令和に代わる平成最後の時間はゆっくりと流れました。

時間と目標に追いつこうと、タイムフレームに自分をはめこむのは、少し止めて、
一瞬でも、季節の移り変わりを感じながら、時に足を止めて、
ゆっくり時が過ぎるのを楽しむようにしています。
けれど、新しい毎日は、新しいチャレンジを運んできます。
それを穏やかに受け止めて、
より人生を Enhancement して、最終章を綴り続けたいと思うこの頃です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
To dream the impossible dream,  
To fight the unbeatable foe, To bear with unbearable sorrow,
And to run where, the brave dare not go, to right the unrightable wrong
And to love pure and chaste from afar, to try when your arms are too weary
To reach the unreachable star, this is my quest, to follow that star
No matter how hopeless,   No matter how far
To fight for the right, without question or pause, to be willing to march,
March into hell for that heavenly cause
And I know, if I’ll only be true to this glorious quest
That my heart, will lie peaceful and dream
When I’m laid to my rest, and the world will be better for this
That one man, scorned and covered with stars, 
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable star
And I always dream, the impossible dream
Yes, and I’ll reach the unreachable star
------- From Man of La Mancha ---
07/22/2019

4.01.2019

Season’s Greetings

春浅いニューヨーク、3月 早々の春雪に子供達はありったけの雪をかき集めて、雪だるまを作ろうと試みた。
胴体はできても、頭を作る程、雪は充分でなかったようだ。
公園に作りかけの雪だるまの胴体が転がっていた。

風は冷たいが、日は少しづつ伸びてきているようだ。

たそがれの空は、ペイントしたような、紺青色。そして夕陽は悠々として、オレンジ色に空を染めて沈みながら、たそがれに紺青色と美しいコントラストを描く。
その一瞬をとどめた。

イースター フラワーショーは宇宙的なバーニーが主役です。

ひとときの憩いをお届けします。


Photo by Akiko Endo

12.16.2018

Season’s Greetings from New York

🎄恒例のロックフェラーセンターの巨大クリスマスツリーが点灯されると、街はホリデー気分一色です。
 年の終わりを間近にして、のんびりとニューヨークを楽しむ観光客と対照的に、ニューヨーカーは気忙しく、街を行き交います。いよいよと、カレンダーは最後のページを残すのみとなりました。
 改めて、この一年の温かなサポートに心より御礼申し上げます。私にとり、思い出多い一年でした。その時を共有して下さった皆様、一人一人に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。感謝で締めくくれそうです。

📖今年は人生のChapterⅣの一ページに相応しい、感動的な旅の思い出を残せそうです。最も感動的な出来事は、無限に広がる宙が、とても身近になったことです。こんなに空を仰ぐ日々はかつてありませんでした。そして、こんなに星空を眺めたこともありませんでした。
 私は子供の頃から、縁側の陽だまりで、ボーッとして空を仰いでいたそうです。なんとなく記憶があります。縁側の陽だまりは温かくて、庭の柿をついばみに来る鳥たちや、秋の草花を眺めながら、ぽっかり浮かんだ雲を眺めるのが好きだったのです。遠くを眺めるのが好きでした。

🌛🌙今年、改めて宙を仰ぐきっかけになったのが、4月下旬、まだ満開の桜が山間を彩る春の南アルプスを訪れた時に始まります。私の◎◎歳の記念に知人と八ヶ岳南麓の山荘で、温かく、素敵な誕生祝いを致しました。
 この時から星降る村に心惹かれたのです。この経緯(いきさつ)は夏号に書きました。


 < 緩やかに秋が深まる甲斐から信州への旅はスペースファンタジー >
 10月初旬、深夜に高原の原っぱで、ブランケットにくるまり、寝そべって、夜空を見上げました。深い宇宙の深海に散りばめられた星たちの輝きは、明日の希望を私の心に散りばめてくれるようでもあり、星の瞬きが、懐かしい人々との対話に導いてくれました。
 深海に浮かぶ、輝く月の静かな気高さは、自分に生きる誇りを蘇らせてくれるようでした。


< Space Science - 宇宙科学の村 - 青空に雲のメッセージが浮かぶ、のどかな農村 >
📡🌌電波天文学の『聖地』と言われる国立天文台野辺山は南アルプス山麓にあり、周辺の、のどかな農村地帯の風景は、大地の赤い土の色と青い空のコントラストと浮かぶ白い雲がとても詩的です。白い雲の造形は青空のキャンバスに描かれた詩のように思えます。Please visit my Blog)雲もユーモラスです。ランチタイムにソフトクリームで有名な、清里の清泉寮に立ち寄りました。
 帰路、高原循環バスを待っていた時に、空にソフトクリームの雲がニョキニョキと現れました。思わず笑ってしまいました。今年は清泉寮落成から80周年だそうで、牧場は記念行事の準備に追われていました。『清里の父―ポール・ラッシュの描いた夢より80年。そして受け継がれる次の80年へ』ポスターのキャッチフレーズが心に残りました。

⛅青空には雲が謳い、夜空には星が謳い、『宇宙の扉』を見つけて✨🌠🌌
 「目を醒ませ、好奇心」と天文台の案内の一文が目に留まりました。幾つになっても好奇心は失せることがなく、自分の生命が、いつか流星のように一瞬にして消えるにしても、人生の最終章がこんなに豊かな心で綴れる事に幸せを感じています


🍂しみじみと春から晩秋へと、移り変わる季節に刻んだ思い出が温かく蘇ります。🍁
 『宙への扉のある村』から『銀河鉄道』そして、最後の旅のハイライトは日本の雅と自然美の調和が見事な日本庭園を持つ、プライベートな迎賓館を拝観できたことです。妥協のない名工の技と精神が、隅々まで息づく迎賓館を拝観できた事でした。その感動は言葉に尽くせません。雨の降らない日が続いた京都でしたが、訪問の朝、にわか雨が降りました。その雨のお蔭で、庭園の苔桃がしっとりと一層緑深く、粒のように小さい苔桃が開いて、庭園を引き立てました。琵琶湖疏水から引かれた清流は何段もの石に落ちながら、池に注ぐ水音は心地よく、そして、突然、一服の名画のように、池の畔に鷺がたたずんでいた。突然、私の目の前で翼を広げて飛び立ち、大きな翼が頭上を超えた時、飛び立つ先を見上げれば、空が広がり、何か新たな空へ大きく飛び立てとのサインかとも思えました。共に飛躍しようと鷺が誘ってくれたのかも知れません。
 ため息の出るような深い感動に充たされて庭園を後にしました。
2018年、ありがとう。そして、来る新年が皆様に幸多い年になりますようにお祈りしております。
最後にニューヨークのホリデーシーズンの一コマをお贈りします。


Akiko Endo from New York


“”“” 思い出の旅‘ 春『Fascinating Kyoto』魅惑の京都、『八ヶ岳原村、星降る里』でお誕生祝、花巻の旅』、奥入瀬の清流の音、輝く新緑、花巻温泉、『小海線の旅―High Rail』JR最高地点で『幸せの鐘を鳴らして』、夏の琵琶湖半、『彦根』、夏の盛岡から『星をみる旅、野辺山』へ、初秋の岩手の旅は盛岡から花巻へ、宮沢賢治の故郷は銀河鉄道の旅、山猫軒でコーヒーを飲みました。

9.29.2018

17年目の9.11メモリアル



秋風がたち、夜半に窓の外から賑やかな虫の音が聞こえてきます。 虫の音は日本もニューヨークも同じ音色です。
日頃は無縁の自然界の小さな生き物たちの息づきが、移り変わる季 節を告げてくれます。

17年前の9月11日の夜半、対岸のニュージャージーの避難先で、同じように、草むらから賑やかに虫の音が聞こえていました。
紺青色に澄んだ夜空に、煌々と静寂な光を放つ満月が輝いていまし た。まるで昼間の惨事が嘘のような静寂な秋の夜でした。しばし夜 風に吹かれて、ただひたすら、現実を受け止めようと立っていました。

When the day of September 11 returned to us, the time has paused on only this day. It was a beautiful autumn morning and clear blue sky was spreading, It was a very peaceful morning with coffee aroma, at the day of September 11 2001.

17年の歳月が夢のように過ぎました。今年の9月11日の朝はどん よりした曇り日。追悼の祈りを捧げにトリニテ―教会のミサに列席致しました。私達はこの日は時が止まってしまったような、長い一日を過ごしました。この日が過ぎれば、また新しい18年目の 朝が始まります。 この一日に起きた、あまりに深い悲しみを胸の 奥底に秘めて。

From New York

Please visit my blog,